100 Window Displays

アート&カルチャー

銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイは2018年1月で100回目を迎えます。

2001年6月の銀座メゾンエルメスの竣工以来、そのウィンドウは銀座の街に開かれた「エルメス劇場」として、街行く人々にエルメスの世界観をご紹介してまいりました。毎年のエルメスのクリエーションのベースとなる年間テーマを題材に、国内外で活躍するアーティストやデザイナーが自由な発想でデザインするウィンドウは、2ヶ月ごとに新しく生まれ変わり、その舞台で主役となる製品は毎回異なる表情を見せています。

エルメスでは100回を記念し、銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイの軌跡を振り返るアーカイブサイトやトークイベントなどを開催するほか、デザイン評論家アリス・ローソーン氏によるウィンドウディスプレイの社会的、創造的な意味をメゾンエルメスのウィンドウを題材に考察する文章を公開します。

ビスポーク・ウィンドウ」 アリス・ローソーン

正確にカットされ配置された幾層ものオレンジと黄色の色鮮やかなプレキシガラス。都市景観を模したその周囲に散りばめられた、同じく色鮮やかなシルクスカーフと四角いレザーバッグと鞍。黄色、赤、紫のプレキシガラスを重ねた別のビル群の間からも、バッグやスカーフが顔を覗かせています。

この魅惑的な都市景観は、銀座メゾンエルメスがオープンした2001年6月27日に、2つの正面ウィンドウを飾ったディスプレイでした。当時、エルメスのパリ第一号店のディスプレイを担当していたチュニジア出身のデザイナー、レイラ・マンシャリが手がけました。イタリア人建築家レンゾ・ピアノによって設計され、そのガラスブロックの特徴的な外観から、「マジックランタン」の異名を持つ銀座メゾンエルメス。マンシャリは、ウィンドウディスプレイをデザインしただけでなく、エルメスの腕時計や宝飾品、銀食器などのミニチュアを作り、カラフルなプレキシガラスの造形に載せて、ガラスブロックのところどころに仕込んだのです。

マンシャリが手がけた印象的で気の利いたディスプレイは、さまざまなクリエイターに銀座メゾンエルメス独自のウィンドウデザインを委託するという、今日まで続くビスポーク(オーダーメイド)シリーズの第一作目となりました。このプロジェクトが高い人気を誇る他ならぬ証として、2018年1月18日からのプロダクトデザイナー、藤城成貴によるウィンドウディスプレイは、第100作目を数えます。

100のウィンドウは、どれも銀座メゾンエルメスのためだけにデザインされてきました。その時代の影響力のある革新的なデザイナーの参加を得てきたこのプロジェクトは、21世紀初頭デザインの回顧録の役割を果たしているといってもよいでしょう。これまで、イギリスのジャスパー・モリソンやマックス・ラム、ドイツのコンスタンティン・グルチッチ、フランスのロナン&エルワン・ブルレック兄弟、イタリアのフォルマファンタスマなど才能溢れる国際的デザイナーが参加してきました。また、深澤直人、原研哉、nendo、吉岡徳仁、そしてもちろん藤城成貴などの参加のおかげで、最新の日本デザインを知ることのできる場にもなっているのです。

ウィンドウデザインには、18世紀後半の消費社会の誕生にまで遡る輝かしい歴史があります。進取の製造業者や小売業者が道ゆく人の足を止め、店内に誘い込む目的で、ウィンドウに商品を陳列し始めたのがその頃でした。有名なイギリスの陶芸家で事業家のジョサイア・ウェッジウッドも先駆者の一人で、美しい装飾を施した陶器をウィンドウいっぱいに贅沢に飾るようショールームの責任者に指示しました。とはいえ、世界中にデパートがオープンし、ガラスメーカーが大きな板ガラスを製造できるようになったのは19世紀後半になってからで、ほんとうに壮大で華やかなウィンドウディスプレイが制作されるようになったのはこの頃からです。

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ニューヨークのメイシーズ百貨店の創業者、R・H・メイシーは、1850年代から先陣に立ち、1874年には、クリスマスをテーマとした「ホリデーウィンドウ」という概念を初めて打ち出しました。当世最も人気のある児童書の1つ、ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』の1場面を磁器人形で再現したのです。9年後、フランスの作家、エミール・ゾラが世界初の百貨店、パリのル・ボン・マルシェをモデルにした”ご婦人の幸せ”という名のパリの架空のデパートを舞台にした小説『ボヌール・デ・ダム百貨店』を発表しました。物語は、ドゥニーズ・ボーデュという若い女性とその弟たちが両親の死後、服地店を営むおじを頼って、地方からパリに出てきたところから始まります。姉弟は、おじの寂れた店とは比べ物にならない、通りを挟んで向かいにあるボヌール・デ・ダム百貨店のウィンドウのあまりの豪華さに震えるほど感動するのです。

20世紀初頭は、ウィンドウディスプレイの技術革新の時代でした。アメリカの老舗百貨店、ロード・アンド・テイラーは、ニューヨークの5番街にある本店のウィンドウの下に油圧式のテーブルリフトを設置しました。デザイナーや職人が地下でディスプレイを完成させた後、リフトで路上に上げて披露するのです。また、多くの店で照明を設置するようになったため、夜、ディスプレイを見て回るという新しいウィンドウショッピングのスタイルが誕生し、ロンドンのセルフリッジズ百貨店では、毎日午後8時から真夜中までウィンドウの明かりを灯していました。

1920年代を皮切りに、一部の小売業者が著名なアーティストやデザイナーにディスプレイの制作を依頼するようになりました。ニューヨークのボンウィット・テラー百貨店は、1929年からスペインのシュールレアリスムの画家、サルヴァドール・ダリをウィンドウディスプレイデザイナーとして雇いました。ダリがデザインしたあるディスプレイに顧客からの苦情が殺到したため、店側が勝手に手直しをしたところ、怒ったダリがウィンドウに飛び込み、ガラスを突き破って歩道に飛び出るという事件がありました。ボンウィット・テラーはこれに懲りることなく、1950年代から1960年代まで、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、アンディー・ウォーホルなどのアーティストを雇い続けました。

その頃にはエルメスもパリのフォーブル・サントノーレ24番地にある第1号店のウィンドウを誰にデザインさせるかを決めていましたが、ボンウィット・テラーとは違い、アニー・ボーメルというある女性一人に任せ続けました。もともと販売員として雇われていたボーメルを抜擢したのは、1837年に馬具工房として創業したティエリ・エルメスの孫、エミール・エルメスでした。エミールは、1920年代、職人たちがエルメスの原点であるハーネスと同じように品質にこだわって作るバッグやベルト、手袋、鞄などの新しい革製品のほか、シルクスカーフやジュエリーの商品開発に尽力した人物です。フォーブル・サントノーレ店(1880年に祖父が工房を移転した場所)にお客を呼び込み、新商品を見てもらう必要があると考えたエミールは、ボーメルの工夫を凝らした商品陳列を見て、彼女に人目を引くドラマチックなウィンドウを作ってほしいと声をかけたのです。ボーメルは、エルメスの製作技術を駆使して、物語性と視覚的ドラマに富んだ見事なシナリオを考えだします。パリっ子たちに「エルメス劇場」と名付けられたウィンドウのおかげで、店先に人だかりができるようになりました。

1960年代初期、エコール・デ・ボザール(フランス国立高等美術学校)に入学するためにチュニジアからパリに来たマンシャリは、スケッチブックを持ってボーメルのもとを訪ね、その場で雇われます。ボーメルが1978年に引退すると、マンシャリはフォーブル・サントノーレ店のウィンドウディスプレイの責任者として後を継ぎ、時おりそれ以外のディスプレイも手がけていました。その1つが、銀座メゾンエルメスのオープン記念に制作したプレキシガラス製の都市景観だったのです。

以来、銀座メゾンエルメスは、国内の他のエルメスの店と同じウィンドウデザインを採用する代わりに、ピアノがガラスブロックに求めたエクレクティシズム(多彩な要素を受け入れ、調和を生みだす力)を生かした独自のディスプレイを行うことにし、これまでに数十人に上るデザイナーがビスポーク・ウィンドウを手がけてきました。唯一ルールとして定められているのは、エルメス製品を使用して、両方の正面ウィンドウをデザインすることです。参加したすべてのデザイナーやデザインチームが自らの感性を表現する機会を最大限活かしてきたからこそ、これほど見応えのあるウィンドウになったのでしょう。

私のお気に入りは、2006年にロナン&エルワン・ブルレックがエルメスのルーツ、パリへのオマージュとしてデザインしたディスプレイです。「パリ」「航空便」とスタンプされた大きなダンボール箱からバッグやベルトやブーツが溢れ出ていました。その翌年、コンスタンティン・グルチッチが手がけたのは、マイクスタンドやアンプ、ドラムキットなど黒一色の機材が並んだロックコンサートのステージで、そのマイクに白いシルクスカーフが結ばれていました。また色使いでハッとさせられたのは、両ウィンドウに大きな楕円形の空間を作り、そこにエルメスの服を吊った深澤直人による2008年のディスプレイです。一方の空間はバブルガムピンク、もう一方はボトルグリーン、そして周囲にはどちらもエルメスを象徴するオレンジ色が使われていました。

2013年のオランダのプロダクトデザイナー、ユルゲン・ベイによるディスプレイは非常に異色で興味深いものでした。大きいほうのウィンドウには、オフホワイトのフェルトにミシンでイラストを描いた造形物が全面にあしらわれ、小さいほうのウィンドウでは、エルメスの服を着たマネキンがフェルトでできたミシンで熱心に作業している、というものでした。2016年には、フォルマファンタスマのシモーヌ・ファレジンとアンドレア・トリマルキが、海の底でエルメスの靴やバッグ、帽子、金を施したティーポットがカニやロブスターなどの海洋生物を取り巻いている、ファンタジー溢れるシーンを描きました。

こうした忘れがたい印象的なディスプレイの中でも、とくに大きな話題を呼んだのは、まちがいなく2004年に吉岡徳仁がデザインした「吐息」でしょう。2つのウィンドウのそれぞれにデジタルスクリーンが設置され、女性の顔がアップで映し出されています。女性がフーッと息を吹くと、本当に息を吹きかけられたかのようにエルメスのシルクスカーフがなびくのです。吉岡のこのなんともいえぬ精美なデザインは、世界中のメディアに取り上げられ、銀座メゾンエルメスに押し寄せた大勢の人々を魅了しました。そして東京の人々は、このウィンドウを飾る他のデザイナーの作品も楽しみにするようになったのです。

プロフィール

アリス・ローソーン
デザイン評論家、作家。著書『HELLO WORLD』が高く評価される。次作『Design as an Attitude』を2018年春に上梓予定。TED、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)をはじめとする数々の国際的イベントでデザインに関する講演を行う。マンチェスター生まれ、ロンドン在住。ロンドンのチゼンヘール・ギャラリーおよびコンテンポラリーダンスグループ、マイケル・クラーク・カンパニーの理事会議長、ホワイトチャペル・ギャラリーの理事を務める。イギリスの人権擁護団体リバティの活動を支援する作家団体「Writers at Liberty」の創設メンバー。デザインおよび文芸における貢献を認められ、大英帝国勲章を受章。

ウィンドウ100回記念トークイベント (終了いたしました)

銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイについて、デザイン評論家、アリス・ローソーン、ウィンドウを担ったデザイナーを招き、トークイベントを開催いたします。
3月4日をもちまして、応募受付は終了いたしました。
ご当選された方には、3月6日にメールにてお知らせいたします。

会場: 銀座メゾンエルメス フォーラム(東京都中央区銀座5-4-1 8F)
入場料: 無料
席数: 80席(抽選にて)
日時とプログラム詳細:

1.3月17日(土)15:00-16:00
2.3月18日(日)11:30-12:30
3.3月18日(日)15:00-16:00

1. アリス・ローソーン講演
デザイン評論家、アリス・ローソーンによる、ウィンドウディスプレイの歴史から、銀座メゾンエルメス ウィンドウの特徴までを、ビジュアルとともに考察。

2. アリス・ローソーン x 服部一成 対談
2015年に銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイを手がけたグラフィックデザイナーの服部一成と、アリス・ローソーンの対談。ウィンドウデザインの独自性や方法論について。

3. ミシェール’トラクスラー講演
101回目のウィンドウディスプレイを担当するオーストリア人デザインユニット、ミシェール’トラクスラーが展開中のウィンドウについて語る。制作のプロセスや舞台裏などをビジュアルとともに。

お問い合わせ先:エルメス ウィンドウ トークイベント事務局
Email: contact@hermes-events.com
お問い合わせの内容により返答にお時間をいただく場合がございます。予めご了承ください。